稽古場を観劇する/第二回目10月23日(日)
蜂巣の演出ノート
『稽古場を観劇する』② ■稽古を公開しても「つまらない」と思われるんじゃないか、と思う一つの理由
ハチス企画では、別役実『木に花咲く』を上演します、ので、僕は台本を渡されます。台本は21のシーンに分割されている。 今日の観客は僕ともう一人。〈稽古場〉の出演者は、演出家1人と俳優2人。僕は今月、2回目の稽古場訪問です。
前回、1回目の稽古場訪問では、シーン4の読みあわせをが行われていました。 今回、2回目の稽古場訪問でも、シーン4の読みあわせとリハーサルが行われていました。
おっと。
これで、ほとんど5分に満たないシーンを、もう10回以上見ることになりました・・・そして、もしかしたら次の稽古でもシーン4を更に繰り返し見ることになるのだろうか・・・
なんて考えつつ。
※ シーン4は主軸となる老婆と、その娘にあたるヨシオの母ーフミエーが桜の木の下で行う対話からなります。
僕が見た〈稽古〉の構成は、とても単純です。
リハーサル→対話→リハーサル→対話→リハーサル・・・つまり、リハーサル⇄対話。
繰り返しです。非常にミニマル。 そう、同じことを繰り返すんです。 しかも、どこに向かっているかわからない手探りの中。
この「終着点のわからなさ」が、稽古場を公開してもつまらないと思われるんじゃないか、と思う理由でしょう。端的に「飽きるでしょ?」ということ。
でも、本当にそうなのでしょうか?
僕はこの繰り返しを、とても不思議な時間だなぁ、と思いながら眺めています。 劇場ではただ1回しか見ることのないシーンを、稽古場では何十通りものバリエーションとして見ることになるのですから、自然と、ミニマルな繰り返しの中で「何が生じているんだろう?」とか「何が更新されたんだろう?」みたいな疑問が湧いてきます。
つまり、無感覚ではなく、何かを考えているのです。 それも、〈劇場〉作品を見るよりも、じっくりと時間をかけて。
だから、これは結局、〈稽古場〉作品には〈劇場〉作品とは違った、独自の見方/楽しみ方があるのではないか? ということです。学芸会に独自の見方/楽しみ方があるのと、神楽に独自の見方/楽しみ方があるのと、全く同じように。
続く・・・